8.ハオハオの森
コータが“ハオハオの森(不幸の森)”の帰り道を歩きだすとすぐに、ちょっと先の木の陰から、一羽のフクロウが出てきました。少しやせた、目が大きいフクロウでした。
コータがそばを通り過ぎようとすると、そのフクロウが話しかけてきました。
「キミは“幸せの魔法”を白いフクロウに教えてもらったんだって? どういう魔法を教えてもらったんだい?」
「えっ、・・・ボク知らないよ」と、コータは答えました。
(教えたら死んじゃうじゃないか)と思ったのでした。
「キミねぇ、本当に魔法なんて信じてるのかい? 魔法なんてあるわけないじゃないか。白いフクロウはウソツキなんだよ」
「えー、本当?」
「そうさ、オレも昔、魔法の呪文を教えてもらったんだけど、いくら練習したってできなかったんだ。だから、あんなのは信用しないほうがいいぞ」
「ふーん」(本当にそうなのかなぁ)とコータは考えてしまいました。
「でも、試してみないとわからないじゃないか。ボクはとにかく試してみるよ」
「なーんだ。やっぱり魔法を教えてもらったんじゃないか」
「あっ、ごめんなさい。でも、人に教えたら死んじゃうから・・・」
「まぁいいさ。ところで、キミ、名前は?」
「コータです」
「おれは“ハウッチ”」
「ハウッチさんですか」
「“さん”なんていらないよ。“ハウッチ”って呼んでくれ」
「じゃあ、ハウッチ。ハウッチもガイドなの?」
「冗談じゃない。あんなつまんないやつらといっしょにしないでくれよ。オレはもっと自由に楽しく生きてるんだよ」
「ふーん」
「なぁ、オレと賭けをしないか? コータがこの森を出るまでに魔法を使えるようになれるかどうか。魔法を使えるようになったら、オレが教わった魔法の呪文をコータに教えてやるよ。その代わり、魔法が使えるようにならなかったら、コータが教わった魔法の呪文をオレに教えてくれよ」
「えっ、そんな・・・」
「じゃあ、約束したぞ」と言うと、ハウッチは森の中に飛んで行ってしまいました。
コータは、歩きながら考えていました。
(“幸せの魔法”は本物なのだろうか?)
(ボクは本当に幸せを感じられるようになれるのだろうか?)
そこで、コータは思い出しました。
(イチ、試してみろ)
(そうだ、本当かどうかわからないけど、とにかく試してみよう)
それからは、巻物に書いてあった魔法の呪文と修得の心得えを、何度も口の中で言いながら歩きました。
しばらく行くと、見覚えがある場所に出ました。あの“幸せのモージャ”のおじいさんと、リンゴを半分ずつ食べて、寝た場所でした。
コータは、おじいさんが寝たハンモックがあった枝に登ってみました。すると、太い枝の裏側にハンモックがしばりつけてあるのを見つけました。コータが結び目をほどくと、ハンモックが枝の下にぶらさがりました。
コータは喜んで、リュックサックを胸の前に抱えると、ハンモックの中にすべり込みました。
そこは、やわらかくて、あたたかくて、ラクで、とても心地いい場所でした。
「あー、気もちいい」
身体を左右に動かすと、ハンモック全体がゆっくりと揺れました。
「あー、いいなぁ」
コータはとてもいい気もちでした。なんとなく、あのおじいさんの匂いがするような気がして、やすらかな気もちになりました。
(こういうのも“幸せ”なのかなぁ)とコータは思いました。
うとうとしてきたのに気づいて、コータはあわてて上半身を起こしました。
外はまだ明るかったのですが、陽はだいぶ西の空に傾いていました。
コータはリュッサックの中から、“貧しい不幸”のリンゴを取り出して食べました。そして、ベルトを外してナイフで十一個めの×印をつけてから、またハンモックの中に身を沈めました。
「ちょっと聞いてください」
声のほうを見ると、まっ暗な中に、人の上半身が浮かんで見えました。よく見ると、その顔はコータでした。
宙に浮かんだコータが話しだし、コータは「ハオハオ」と言いながら聞きました。
「ウチはおばあちゃんと二人だけで、貧しかったんです」「ハオハオ」
「おばあちゃんが毎日少しのパンを作って、近所の人に買ってもらうだけなので、いつもお金がちょっとしかなかったんです」「ハオハオ」
「だから、物をあまり買ってもらえなかったんです」「ハオハオ」
「着る物はたいてい二つぐらいしかなくて、古いヤツやツギのあたったヤツばかり着てたんです」「ハオハオ」
「食べる物も、残り物のパンと野菜料理ばかりで、お肉は年に二、三回しか食べられなかったんです」「ハオハオ」
「おもちゃとかお菓子とか、買ってもらえなかったんです」「ハオハオ」
「だから、ボク、ずっと不幸だったんです」「ハオハオ」
「話を聞いてくれて、ありがとう」「どういたしまして」
宙に浮かんだコータの上半身は消えてしまいました。
コータはふしぎな気もちでした。
自分のことだけど、他の子どもの話を聞いたような気がしました。
(ハオハオ、そういうこともある、ってことかなぁ)
(ハオハオ、だってしかたがないもの)
(それに貧しかったけど、着る物もあったし、食べる物もあったし、古くて小さくても家があったんだ)
(お腹がすいて死にそうになったのは、この森の中ではじめてだったんだ)
(ちょっと貧しかったけど、そんなに不幸じゃなかったのかもしれない)
コータはハンモックの中でぐっすりと眠ることができました。
次の朝、コータは太陽の光がまぶしくて目が覚めました。ハンモックの中で上半身を起こし、両腕を上に伸ばして大きなあくびをすると、
「あー、よく寝た」と言いました。
ハンモックの中で慎重に立ち上がると、太い枝の上にはい上がりました。
枝の上に立ってまわりを見渡すと、遠く北のほうに三子山(みつごやま)が見えました。
(早く帰らなくちゃ)とコータは思いました。
枝の下にぶらさがっていたハンモックを引き上げると縄で枝にしばりつけてから、地面に降り、北に向かって歩きだしました。
しばらく行くと、川と丸木橋が見えてきました。
橋に近づくにつれて、コータの胸はドキドキしてきました。
橋の手前から川をのぞきこむと、(怖い!)と思い、腰がひけてしまいました。
コータは一度橋から離れて、道の脇の小高い場所に腰をおろしました。
(落ちつくんだ。でもどうしたらいいんだろう?)
(そうだ。こういう時には、「悪いことはハオハオ」かもしれない)
(だったら、「怖いことはハオハオ」か・・・)
(「怖くてもいい」ってことかな?)
(そうか。「怖くて当たり前」なんだ)
その時、向こう岸の道を若い男の人が歩いてくるのが見えました。
その男の人が橋を渡ろうとすると、若い女の人が小走りに寄って行きました。
コータは、二人のようすをじっと見ていました。
女の人が男の人に何かを言ったあと、男の人が女の人の手を引いて丸木橋を渡り始めました。
女の人は怖そうな足どりでついてきましたが、そのうちに男の人の腕を自分の両腕でかかえて引っ張っているように見えました。それでも少しずつ進みましたが、橋の真ん中ぐらいの所で二人は止まってしまいました。
男の人が女の人のほうを向いて何か言っていました。
そのうちに、「もうやめてくれ!」と大きい声が聞こえたと同時に、男の人が女の人の腕を振り払い、女の人は橋の上に手をついて座りこんでしまいました。
男の人は、女の人をその場に置いて、一人で橋を渡ってきました。
コータは橋の手前まで行き、男の人が渡り終えると、聞きました。
「どうかしたんですか?」
「危なくてしょうがなかったんだよ。もう少しで川に落ちそうになったんだから」
「どうして?」
「いや、あのな。あの女が怖いからいっしょに渡ってくれって言うから、手を引いてあげたら、オレの手を引っ張るんだよ。そのうちに腕にしがみついてきて、・・・。すごい力だったんで、川に落ちるんじゃないかと思って・・・。力を入れないように言ったんだけど、もっとしがみついてきたもんで・・・。怖くてとてもいっしょには渡れないと思ったんだよ」
「そうだったんですか」
「な、しょうがないだろ?」
「は、そうですね」
その時、コータが橋の上を見ると、女の人は歩いて橋の上を戻って行きました。それも、そんなに怖そうには見えませんでした。
いっしょにその姿を見ていた男の人は、
「なんだよ、あれ! ぜんぜん怖くないんじゃないか。ふざけやがって!」
そう言うと、道を歩いて行ってしまいました。
コータは、不思議なことに、さっきまでの恐怖感が小さくなっているのに気づきました。
「よし、行こう」
コータは丸木橋を渡る決心をしました。
橋の上を一歩、二歩と足を進めると、(怖い!)と思い、少しひざを曲げ腰を引いてしまいましたが、
(ハオハオ、怖くてもいいんだ)
と心の中で言い、次の一歩を踏み出しました。
(ハオハオ、大丈夫、大丈夫。この丸太は太いんだ)
コータはゆっくりと歩き出しました。
(ハオハオ、大丈夫、大丈夫。ゆっくり行けばいいんだ)
途中、つい橋の下の川の流れを見てしまった時にも、
(怖い! ハオハオ、怖くてもいいんだ。ハオハオ、大丈夫、大丈夫)と心の中で言い、足を止めませんでした。
コータは、ずっと(ハオハオ、大丈夫、大丈夫)と心の中で言いながら歩き続けて、とうとう丸木橋を歩いて渡り終えました。
「ふっー」と息をはき、(やったー。よかった)と思うと、うれしい気もちが湧きあがってきました。
ふと人の気配に気づき、コータが顔を上げると、さっきの若い女の人が橋から少し離れた所に立ってコータのほうを見ていました。
少し微笑んでいるように見えた女の人は、コータと目が合うと振り返って、森の中へ歩いて行ってしまいました。
(あの人も何かのモージャなのかな?)とコータは思いました。
コータは、“ハオハオの森”の帰り道をまた歩き始めました。深い森の中をしばらく行くと、分かれ道がありました。
コータは来る時のことを思い出しました。
(たぶん、右の道でいいし、左の道でもいいんだ)
そう思うと、ラクな気もちになれました。
(来る時に分かっていれば、あんなに困らなくてもよかったのに)と思いました。
でも念のために、北のほうがよく見えそうな木の枝に登ってみました。すると、三子山が見えました。
コータは迷わず右の道を進みました。
それからも、分かれ道が何カ所もありましたが、時々、木に登っては目標とする三子山を確認しながら、道を選んで進みました。
しばらく行くと、今度は道が合流していました。
(やっぱり)と、コータは思いました。
いくつかの合流があったあと、道の前のほうから一人の若い男の人が歩いてきました。
「やー、キミか」と、その男の人が言いました。
その人の顔をよく見ると、行きにもこの森の中で出会った男の人でした。
「あ、どうも」とコータは言いました。
「ところで、キミは白いフクロウの所から帰ってきたのかい?」
「はい」
「そうか、やっぱりこの道でよかったんだ。で、白いフクロウの所まではあとどのぐらい? もう半分は過ぎたかなぁ?」
「そうですね・・・たぶん、ちょうど半分ぐらいだと思います」
「そうかぁ、どうしようかなぁ。もう青いリンゴが半分も残っていないんだよなぁ。まぁいいや、もう少し行ってみるよ」
そう言うと、男の人は歩いて行ってしまいました。
(あの人も何かのモージャなのかな?)とコータは思いました。
コータは、“ハオハオの森”の帰り道をまた歩き始めました。道が時々合流していました。
そのうちに、陽が暮れてきました。
コータは、道のわきにある木の下で、平らで草がはえている場所を見つけて、毛布をしいて座り、“忙しい不幸”の青いリンゴを食べました。
それから、ベルトを外してナイフで十二個めの×印をつけてから、毛布にくるまって横になりました。
「ちょっと聞いてください」
まっ暗な中に、コータの上半身が浮かんで見えました。
「ウチはおばあちゃんと二人だけで、忙しかったんです」「ハオハオ」
「おばあちゃんが夜中に起きて焼いたパンを、ボクが朝学校に行く前に、近所に届けなきゃいけなかったんです」「ハオハオ」
「学校が終わったら、すぐに帰っておばあちゃんの手伝いをしなくちゃいけなかったんです」「ハオハオ」
「だから、みんなと遊べなかったんです」「ハオハオ」
「だから、友達がいなくて寂しかったんです」「ハオハオ」
「話を聞いてくれて、ありがとう」「どういたしまして」
宙に浮かんだコータの上半身は消えてしまいました。
コータはふしぎな気もちになりました。
働き者でやさしい、いい少年の話を聞いたような気がしました。
(「えらい」ってほめてあげてもいい)と思いました。
(そう言えば、ボクはよく近所の人から「コータはいい子だ」ってほめてもらったな)
(けっこううれしかったと思う)
(それに、働くことは別に嫌いじゃなかったし)
(たぶん、遊んでいる友達がうらやましかっただけなんだ)
(ボクが忙しかったのは、しかたがなかったんだ)
(忙しくてもそんなに不幸じゃなかったのかもしれない)
そう思うと、心が安らかになり、コータはいつのまにか眠ってしまいました。
次の朝、コータは起きるとすぐに出発しました。深い森の中の曲がりくねった道を行くと、時々道が合流していました。
太陽が真上に近くなった頃、“不幸リンゴ配給所”の建物が見えてきました。
その少し手前に、青いリンゴをたくさん積んだ荷車があり、すぐ横に中年の女の人が腰をおろしていました。
(あっ、“不幸のモージャ”のおばさんだ)とコータは思いました。
コータが荷車の近くまで来ると、そのおばさんは立ち上がり、話しかけてきました。
「おやまぁ、このあいだの坊やじゃないか。白いフクロウの所には行けたのかい?」
「あ、はい」
「そうかい。魔法の話は聞かないよ。聞いても言っちゃいけないんだろ?」
「あ、はい」
「やっぱりそうかい。ふーん、まぁいいや。でねー、あまった青いリンゴがあったら、ワタシにくれないかい?」
コータはちょっと考えてから、言いました。
「ごめんなさい。青いリンゴはありますけど、ボクには赤いリンゴが一つしかないから、“幸せの森”の中でも青いリンゴを食べなくちゃいけないんです」
「何言ってんだい。そんなことしたら、すごく不幸な思いをしなくちゃいけないんだよ。“幸せの森”の中で不幸のリンゴを食べると、人の幸せの中で自分の不幸を味わうから、すごくつらいんだよ」
「そうなんですか。でも、しかたがないんです。ボク、向こうの森の中でも青いリンゴを食べます」
「そうかい、わかったよ。それじゃあ、がんばんなよ」
「はい。では」と言って、コータが“不幸リンゴ配給所”のほうへ行こうとすると、
「帰りはそっちじゃないよ。これをごらん」と、おばさんは荷車の後ろを指さしました。
見ると、荷車の後ろには標識が立っていて、左の矢印には“不幸リンゴ配給所”、右の矢印には“幸せリンゴ配給所”と書いてありました。
「あ、そうなんですか。帰りは違うんだ。ふーん・・・」
「あ、どうもありがとうございました」と“不幸のモージャ”のおばさんにお礼を言うと、コータは右のほうへ歩いて行きました。
すると、“幸せリンゴ配給所”と書いてある入口がありました。
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